ハイジ略史 楓物語

すげー。
楓物語(大正時代に書かれた、ハイジのYet Anotherな訳本です)を、わざわざ国会図書館で見てきたんだと!やるなぁ。

ハイジ略史 楓物語

以下は上ページの引用。非常に面白い記事なので、ぜひ上のリンクを見てみてください!

私が楓の存在を知ったのは、他愛もないですが3年前の国会図書館の検索です。
 スピリ原作で古くてわけのわからない本があったので、ものはためしでノコノコ霞ヶ関へ出かけていって、閲覧請求出しましたら監視付の特別室につれていかれ、「ここで見なさい」と表紙のとれたボロボロの本を渡されました。
 これでは番組に使えません。(トレビアなんて番組なかったけど)
 中をみて、「へぇ〜へぇ〜、こりゃハイジだ!」とびっくり。
 次に面白くてニコニコとしてしまいました。

このページに一部載っているのですが、めっちゃ原文読みたいです。
神保町で探しても出てこないかなぁ……。

—–
追記。
上記ページに、一般的な訳と楓物語での同じシーンの描写があります。
ちょっと面白いと思ったので、ズイヨー製作のアニメ版ハイジの同じシーンをDVDで見て、聞き取りしてみました。

[野上訳を少しいじったもの] 上記ページの抜粋を少しいじったもの。
書き方自体は大正時代なので古いが、ほとんど今でもそのまま通じる傑作。これはどこかで読めるかな

「着物の包みを持つておいでよ。」
「わたし、あんな着物なんかもういらないのよ。」
「この子はなかなか利口だ。」「なんだつて、もう着物がいらないのだ?」
「だつて、わたし、細い、軽い足をした山羊たちと一緒にとびまわりたいんですもの」
「ぢや、好きならそうしていい。でも荷物だけは持つておいで、戸棚へしまわなくちやならない」


[ズイヨー版ハイジ]

映像があるぶん簡略化されていますが、野上訳にかなり近いです。

「お前は、あれ(着物のこと)を持ってきなさい」
「もういらないの」
「ん?……変わった子だな、お前は。どうしていらないんだ?」
「あたし、ヤギのように駆け回りたいの」
(メエ、メエ~と、本当に四つん這いで駆け回ってみる)
「うん、だが着物は持ってきなさい」

[楓物語] 上記ページの抜粋です。
わざと、当時のくだけた文体を使っているのがわかります。
また、ふりがなをしつこいほど多用していて、ひらがなが読めれば全部読めそうです。

『その(つゝみ)()つて御出(おい)で』(中略)
『モー()らないんだよ』(中略)
利口相(りこうそう)だがな。(中略)何故(なぜ)()らないのさ』(中略)
『山羊と一緒(いつしよ)()()いんだもの』
御驅(おか)けな、だつて着物は持つて御出(おい)で! 戸棚(とだな)に入れとくんだから。』

アニメがここまで原作に沿っている事に少し驚きました。もちろん、もみの木やキリスト教の描写などは、そうはいかないのはわかるけど。それにしても一語一句違わないとは。
面白いですねえ ^^

ファンタジックな日本のラブホテル:画像ギャラリー | WIRED VISION

こういうところは利用した事がないんだが……
確かに、こんな空間に写真家が迷い込んだら、魅せられるわな。特に海外のカメラマンならカルチャーショックに目を疑うだろう。

てかこの写真集欲しいぞ。面白そうだ。

ファンタジックな日本のラブホテル:画像ギャラリー | WIRED VISION

iPhone電子ブックリーダーが「発禁」に:理由はインドの古典 | WIRED VISION

iPhone電子ブックリーダーが「発禁」に:理由はインドの古典 | WIRED VISION

ようするに「ボクが気に入らないからだめだよ」。一社独占による弊害の象徴のような話だ。
しかし、iPhoneの扱いがよくわかる。つまりコンシューマゲーム機のノリに近いんだな。ジョブスの描いた「誰でも使えるウェラブルなコンピュータ」ではないということだ。

iPhoneを、いわゆる Knowledge navigator へのひとつのカタチと位置づけるなら、こういうバカな規制をする前に一言付け加えるべきだろう。つまり「遺憾だが、これを使うと性的コンテンツも閲覧できてしまう。子供たちをアダルトコンテンツから隔離できる技術が確立するまでは掲載させられない」という文面だ。

ついでに言うと、iPhoneアプリの承認に一貫性がなく「いいかげん」なのは以前から言われている事だ。これは「好意的に解釈すれば」柔軟に対応可という事なんだけど、現実にはジャイアニズム全開で「ボクの言う通りにするんなら、まぁ掲載させてやってもいいよ」となっている。今回のはそのいい例だろう。私もそうだ。社命で作れと言われない限りiPhoneものは作らないし、自分でもユーザーにはならないと思う。
自由を束縛されるのは我慢ならない。たとえ冷たい逆風でも、外の自由な風の中のほうがいい。

プラットホームとして魅力的な素材だけに、本当にもったいない話だ。

ハイジのバッドエンドを描いてみたいものだ

「その後のハイジ」と何人かの人が描いているのだけど、原作者が残しているのはクララ編まで。それ以降の、ペーターと結婚したり先生になったりしているハイジはすべて、後日描かれた誰かの二次創作です。
まぁ、それを言うなら本来のハイジは山に帰るまでで、クララがアルムにきたりするあたりは、本編が売れてから作られたセルフ二次創作という話もありますが、まぁそれはそれ。

で、ふと思ったのが「バッドエンドハイジ」を描いてみたいというもの。
フランクフルトで、ゼーゼマン氏たちの決断が遅れて手遅れになり、フランクフルトの病院でひとり亡くなるハイジとか。

でも究極に描いてみたいのは、フランクフルトに行かなかったハイジ。
それは不幸な話だったが、だけどクララの事やおんじの事を思うと、フランクフルト編は確かに必要だったわけで。
これがない場合、いつか、おんじとハイジの生活は破綻を起こすと思われるので、それを描いてみたいわけだ。

パターン1。おんじ死亡。
 問題は残されたハイジ。ハイジがまだ小さければペーターの家にいく事になるのでしょう。少なくとも、おばあさんもペーターも放っておくわけがない。ハイジは山に登れず(のぼれば山小屋を回避できず、おんじを想って泣くことになる)しばらく苦しむが、立ち直ればまた元気になり、そしてそのままペーターの奥さんに。
 ……なんだ、結構そのままでも幸せになれるかもしれない。
 しかし、ある歳になってからだと厄介だ。なまじ大人になって山小屋の切り盛りが可能になっているがゆえに、おんじの後をついでそのまま住んでしまうかもしれない。
 たったひとりで。おんじの女版のようになって。
 
パターン2。思春期のハイジ。
 いかに就学が遅れようとも、いつかはハイジ本人の意志で外に出ようとすると思う。なんたってハイジはあのおんじの孫なのだから、一度暴走をはじめると祖父のおんじですら止められない。
 だけど、それがおんじとの別れの日となるのかもしれない。

うむ。想像すると楽しそうだなぁ。

その後のハイジの予想爆笑画像

ファンのサイトでいくつか見たのですが、やはりこれが個人的に究極の一枚だと思います ^^;;
既にメンテ停止している「跡地」のようなので、できれば直リンでなく画像をいただいてリンクつきで掲載したい。ですが、画像の使用許可を求めたくてもメアドがないのでわかりません。あとで判明次第お願いするとして、今は直リンにしておきます。

http://members.at.infoseek.co.jp/alps_annet/meigeki/heidi_frame.htm

上記の記事の後日談より。

ぶはっ! ^^;
この一枚の絵がふたりの未来図を非常に物語っています ^^;
てか、飲み物飲みながら読まなくてよかった ^^;;;;

記事本体も非常に面白いので、ぜひ読んでみてください。おすすめです。
この方の記事には原作寄りの記述も多く、宗教色などを徹底排除したアニメのみの感覚で見ると違和感を感じるかもしれませんが、なかなか秀逸だと思います。私とは違う視点で、非常によく見ている。

すでに更新停止されているとは。おしいなぁ。

ハイジ第33~36話感想

前回の続き。こちらは有名な幽霊騒ぎから帰郷直後のまでのハイジです。

まず演出。このあたりはもう神演出としか言いようがない。
これを見た小さい時は「やっとハイジが山に帰るんだ」と喜んだ記憶があるんだけど、今、大人になった自分の目線で見ると、幽霊騒ぎのあたりなんてもう…。
てか、一桁(本編終了時点でもハイジは十歳にすらなっていない)の女の子にこんな想いをさせるなんてひどすぎる orz
本気で泣けた。

夢遊病のところ、今の目で見ても全然色あせてない。それどころか、当時は理解できなかったり気づかなかった緻密な演出や悲惨さに胸が潰れそうだった。てかこうして書いてる今ももらい泣きしそうだ。
夢の中でアルムにいるのだけど、その山小屋の風景すら神だ。誰もいず、荒れ放題の廃屋のような家の中はハイジの心象風景そのものなんだろうけど、そのおかしさを認めず、おんじとヨーゼフを探す姿。BGMの夕焼けの歌にも虚ろなエコーがかかっている。ハイジのメンタルヘルスが最悪の状態にあるのが非常にわかりやすい。これはいくらなんでもやばいだろう、と誰の目にもわかる。
しかし、当時これを子供と見ていた大人たちはギョッとしたんじゃないだろうか?

この前後の描写も凄い。
帰郷を知らされたハイジの顔色はみるみる変わっていく。真っ白で病的そのものだった顔も、クララと分かれるころには頬の赤さを取り戻しかけているし、一話のタイムスケールのわずかな時間の間にも、まるで別人のように元気になっていく。
あの今にも死にそうにやつれていたハイジが、マイエンフェルトからこっちの元気なこと元気なこと。
よかった、よかったなぁ……涙腺はもうゆるみっぱなしである。
「ありがとうセバスチャン。でも、山が嫌になんて決してならないわ」
いやま、そりゃそうだろう。
ここまで「故郷」として山が心象風景に刷り込まれてしまった人間が、その山を嫌いになれるわけがない。たとえその一生に何があろうとも。

ちなみに余談。
子供の頃に全く気づかなかったのが、おんじの行動だ。
帰郷直後のハイジは何話かの間、言動や行動が明らかにおかしいんだけど、それを見守るおんじの姿がものすごく印象的。細かいところまで本当に気を使っている。

ここまでリアルに演出していたんだなぁ。今の目で見ても驚くばかりです。

ハイジ第九話『白銀のアルム』十話『おばあさんの家へ』

ずっと欲しかったのだけど、1000円以下でみつけたのでゲットする。
DVD第三巻と九巻。その中から、第九話と十話の感想。

ペーターとハイジの対比が面白い。
歩いて山小屋にいったペーターの手は氷のように冷たい。
対して、ペーターの家に遊びにいったハイジの手は暖かい。おんじが大切に送っていったからだ。
いかにハイジが可愛がられているかがよくわかるシーンだと思う。ふたりが住んでいるのは登山道の最中のようなとんでもない場所なのだから。
(おばあさんはその意味に気づかないが、これは何年も盲目で外に出てないから気づかないのだろうと思われる。
また、おじいさんやハイジは創作だが山小屋は実在する。夏はともかく冬場はとんでもない場所のようで、暖かい手のままで下山するのは非常に難しいと思われる)

ハイジはおんじの実の孫娘であり、しかも本質的にハイジの性格はおんじのそれを色濃く受け継いでいる。優しくて頑固でゴーイングマイウェイなところなんか、確かにこのじいさんの孫なんだとよくわかる。
おんじが可愛がるのも無理もないが、同時にハイジが村人と関わるのを快く思わなかったのは自分のエゴだけではあるまい。
第二話の時点で、おんじはハイジを「あの子はちゃんとわかっておる」と感心している。この時点で、おそらく村人や義理の姪とハイジが違うことに気づいていたのだろう。彼はその孫娘のユニークな特性が非常にお気に入りだったから、それを歪めるのを嫌がったのかもしれない。

そのユニークさ、そして「確かにこのふたりは祖父と孫娘なのだ」というシーンはまもなく結実する。
おんじがいつのまにか木の下にも椅子を用意していて、ハイジがひと冬せっせと餌付けした動物たちとくつろいでいたりするシーンがある。ちゃっかり便乗しているのも凄いが、動物たちを決して警戒させないあたり、なにげにこのじいさんも過去にハイジと同じことをさんざんやったんだろう。なにしろ、風や雪にまで話しかけてしまうほどに孤独な生活をずっとしていたようだから。

しかし、こんな環境にあたりまえに順応して育てば……そりゃ都会でホームシックにもなるわなぁ。
デルフリ村ですら通年ではきつかろう。

なお余談だが、アニメでは語られないその後のハイジの設定というと、あのフランクフルトのお医者様である。彼は原作ではハイジを尋ねてたびたびアルムを訪れ、おんじに、自分が死んだ後にハイジの後見人になってくれと頼まれ承諾している。そっちは読んでないのでよく知らないのだけど、最終的にアルムの方に家をもって転居したはずである。
もっとも、これらはハイジ本編からすると完全に蛇足だろう。

もともと原作のハイジはフランクフルトから帰るまでで、その後は原作が有名になってから追加された後日談(ようするに、作者のセルフ二次創作に近い。最初からあったストーリーではないようだ)であって家族の評判も悪かったそうなんだけど、この話には私も同意する。
個人的には、帰郷後のエピソード好きではない。「クララが立った!」は有名だけど、ハイジ最強の感動シーンは、幽霊騒動まわりから帰郷にかけてのラストだと思うからだ。
そこらの感想もあとで書こうと思う。

『メビウス』を検索する時の綴り(欧文文字の取扱い)

シャープのパソコン『Mebius』やウルトラマンのおかげで、メビウスの綴りは「Mebius」という事になっている。まぁ頻繁に使う単語でなし、特にそれで問題ないと思う。

だけど、より多くの情報をググりたいのなら「Mebius」ではダメだ。本来の「Möbius」またはこの代用である「Moebius」で調べないとダメと思われます。
(ö == oe)

なお、Linuxで使いたい場合は [composeキー] + 「”」 + 「o」 で打ち込めます。「うむらうと・おー」と覚えるといいかも。日本語キーボードにはcomposeキーがないのですが、GNOMEのキーボードメニューで、右altなどを割り当てるのが一番楽なのでおすすめです。

ただし、古いLinuxもしくはFreeBSDのように日本語環境がEUC-JPになっていると、composeキーで欧文文字が打てるかどうかは私にはわかりません。これは該当のOSにしたがう事になります。

Windowsでは不明です。まさかコピペ以外に手がないわけではないと思うのですが……。
やはり今も、ドイツ語などの欧文配列に一時的に切り替えるのかな。わかる人、いい方法がもしあったら明記したいので教えてください。 ^^;

ようつべの円谷チャンネル

Youtube:円谷チャンネル

個人的には、メビウス第一話『運命の出会い』をいれて欲しいなぁ。
あれは、ウルトラ世代の「元男の子」たちにはある意味鳥肌ものだ。

そもそも、メビウスはいろんな意味で「あざとい」作りになっている。なにより、

・ウルトラマンも怪獣も現れなくなって25年。ウルトラマンの存在は伝説化し、防衛隊への入隊資格は「持っていると就職なんかに有利」なものと成り果てている。
・当時の子供たちがお父さんお母さんになり、子供たちは「ウルトラマンの話」を帰化されつづけているが実際に見たことはない。

このあたりが、現実の日本と見事にリンクしているのが凄い。

確かに平成にもウルトラマンは作られている。だけどそれは昭和のものとは全く別系統のもので、よくも悪くも「昭和ウルトラ以来ウルトラを見てない」層は多かった。何を隠そうわたしもそのひとりだ。

だからこそ、メビウスの第一話は強烈なのだ。

25年の歳月を越えて、平和な地球、しかもよりによって日本にやってくる怪獣ディノゾール。戦い慣れていず通常の武器しかない防衛隊はたちまち、たったひとりを残して全滅してしまう。
もうだめだ、というその時に突如として降り注ぐ光。見上げる人々。怪獣でさえその異常に気づいて動きを止める。
そして、彼らの目の前に巨大な、そして伝説となったウルトラマンが出現する。
口をあんぐりと開けて固まっている人々。「マジかよ」とつぶやく青年、一瞬遅れて感激のあまり、怪獣の恐怖も忘れて写メール撮りまくる人々。

ああ。本当に帰ってきたんだなと思った瞬間だった。
あれは、私たち往年のウルトラファンにしても「運命の出会い」だったんだと。