サーバのHDDを交換しました。

これによるコンテンツ側の被害は最小でしたが、データコピー中は安全のためにDBサーバを止めたため、数時間に及びブログにアクセスできなくなりました。
(たぶん実際は不要だったと思う。イメージはコピーずみだったので)

現在、システムのHDDが500GBから2TBに交換され、正常動作しています。
非常に備えて旧HDDも未だとりつけられていますが、しばらく様子見の後に取り外されます。
ご協力ありがとうございました。

AKB48、新曲「Beginner」初回出荷103万枚!CD不況関係なし!

AKB48、新曲「Beginner」初回出荷103万枚!CD不況関係なし!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101026-00000023-sph-ent

タワーレコード広報室では「前作(ヘビーローテーション)より予約期間が短いですが、前作を上回る予約が入っています。ジャニーズのトップグループに匹敵する勢い」とコメント。音楽関係者は「普段はダウンロードなどで楽曲を購入する中高生がCDを買っているのが大きい」と話す。

なるほど、握手権って奴か。

AKB48の場合、この握手権の問題とか「ひとりで何枚も買うヲタがたくさんいる」事が有名なんで、百万枚と言われても、一部の奴が金で買い支えてるだけだろうとしか思えない。

ああ、これは推測でなく、実際にこういう記事がある。

AKBオタの財力と行動力がハンパない、CDに100万円つぎ込む漢が現れる! – はちま起構 –
http://blog.esuteru.com/archives/465561.html

汚いと思う向きもあると思う。だけど、そもそもAKB48自体が完全にアイドルヲタク狙いでプロデュースされていると思う。一般人は金を落とさないからね。

アイドルヲタ目線で見れば、群体としては面白いのかもしれないこのAKB48。見りゃわかると思うけど個々の印象はゼロに等しいから現実は数に任せた使い潰しだと思う。音楽性なんか最初から売り物になんかしていないんだけど、これは仕方ない。そもそも音楽性を求めるならAKB48みたいな形式にはしないはずだし、主催側(確か、おにゃんこを作った奴だっけ?基本的にこういうの好きな奴なんだろうなー)も音楽なんかやらせるつもりはないだろう。

まぁ、おにゃんこやモー娘が今や影も形も、それどころか記憶からも忘れ去られているように、とある時代にぽーんと売れてすぐ忘れ去られるんだろうと思う。そういうプロデュースしかされていないし、儲かるうちが華って感じだろうか。

まぁどのみち、TV見ない私には関係ない世界の話なのだけど。

アイマスDSに興味をもった事がある。

結局、時間のかかるやりこみゲームにそこまで時間を投資できない事で諦めたんだけど、巷の評判を見ると随分とアイマス好きの人には悪評なんだなーと驚く。
ただ、ちょっと理解できないなーと思う点がひとつあった。

『アイドルの中に男の娘がいる事に対する非難の大合唱』

秋月涼の事ですな。私がDSに興味をもった理由はこの子の存在ゆえなんですが、まぁそれはそれ。

逆に問いたい。
DS版はアイドル視点のアドベンチャー形式なのだろう?つまり、プレイヤーはそのヒロインの背後霊状態の一人称で話は進むのだろう?

そんなにまでして「女の子になりたい」のかあんたらは?
えっと女装、いやこの場合は女性化指向って事で、オカマか。

いや、それはそれで面白い趣味だと思うが、自分は変態ですと大合唱する意味がどこにあるのかな。野郎プレイヤーなのに女の子視点の一人称って、かなりマニアックというか上級者向けなんですがどうなのよそのへん。

少なくとも、「意に反して女装デビューさせられちまった少年」の方が、大多数のプレイヤーにとっては感情移入しやすいのではないかね。少なくとも同じ男なんだから
(実際、私がアイマスDSに興味をもったきっかけもそこにあった。その設定の破天荒さに笑ったが、どう決着つけんのよこれ、とシナリオ好きの興味もそそりまくった)

まぁ結果として確かに買わなかったわけだしゲームとしても決していい出来ではなかったようだけど(ネットで拝見する限り、残念だが確かにクオリティが低い)、「ヒロインが男」って理由「だけ」で叩くのはさすがにどうかと思う。作品自体が「ヒロイン目線=プレイヤ目線」である以上、男が混じっている事になんの問題もないだろう。

いや本当に言いたい。今の世の中、そこまでして「わしはぴちぴちギャルになりたいのぉ by どこかの神殿のジジイ」な人がゴロゴロいるのかと。しかも大合唱しちゃうのかと。
いやぁ、世の中変わりましたな。

—-

うちはそもそもTSフィクションだの義体化だの魂の電子化なんてのに手を染めてる関係上、こういうネタには耐性があります。
だがしかし、それでもハルヒネタで、いわゆるキョン子と男長門のシーンをキョン子視点で書いてる時は脳が沸騰するかと思ったよ。自分の性自認や異性観と違う立場に置かれるのは、色々と強烈なものがあります、はい orz
やっぱりこういう世界は腐女子のおもちゃか、マニアックな上級者の世界であるべきだと思うんだよ。

『鉄拳ラビ』いちおうの完成

随所に改良点を残してはいるのですが、ひとまずは終わりました。

[鉄拳ラビ]
http://www016.upp.so-net.ne.jp/wdfc/scsrabe-rabi/index.html

[同PDF版] ※A5ランドスケープ縦書き。主にノートPCむけに調整されています
http://www016.upp.so-net.ne.jp/wdfc/pdf/scsrabe-rabi.pdf

— (ストーリー)

今回のテーマは、ヒーローに憧れたひとりの人間の話。

αシリーズしかも外伝でなく本流です。連邦時間(地球年と微妙に違うがほぼイコール)で『α』の約250年後。
一生を冴えないいちエンジニアとして過ごした男が、砂漠で見つけた前の戦争の遺物。それは有機合成された強化人間のボディだった。特殊能力などは持たないが、弾丸も手で掴めるほどの高速神経系と、生身の人間の瞬間最大で660倍という圧倒的なパワーが特徴のものだ。
子供の頃の「ヒーローになりたい」という夢。彼は、このボディを使って戦う事を思いつく。生まれ育った愛すべき故郷のために、この老い先短い命をもう一度使いたいと。

ただ唯一の問題は、そのボディの性別属性が「女」である事だった……。

久しぶりにマシントラブル

ファイルサーバでトラブルが起きた。自宅のだが XD

サブにしている大昔の古〜いThinkpad。これにUbuntu10.10を入れたが性能不足で音がブツブツになるので、これをDebian squeezeに戻した。

だが共有が見えない。おかしい。しばらく悩んだ末に動作実績のあるUbuntu10.04LTSにしたが、なんと状況変わらず。これはこっちのせいじゃないなと原因探し。

調べてみるとファイルサーバの/varが満タンだった。こんなトラブル久しぶりだ。眠っている500GB IDEのHDDを増設しようとしたのだけど、そのせいでエラーメッセージが死ぬほどでまくっていたのだ。つまるとこ自爆。
さらに言うと、メインのASUS N10JC(Debian squeeze)ではちゃんと見えていたのが問題をややこしくした。どうもN10JCの方で、たまたま前回の動作のキャッシュで動いていたようだが、「他の端末が動いているからって油断しちゃいけない」というのを久々に思い出した。

サーバの/varをあけて、ThinkpadはDebian squeezeとboinc-manager を再度入れなおした。

追加していた500GB HDDを外す。いいや、SATA 1TBでも買ってこよう。バルクで5000円台であるかなぁ。

IS(7)感想

 フツウってなんだ。この問題は非常に難しい。
 誰だって自分の中に大小あれ秘密を秘めているだろう。何かのトラウマであったり、風変わりな趣味趣向であったりと色々だ。だがそれが自分自身の肉体や身内の問題であればなおさらだ。
 本作の主人公は真性半陰陽。InterSexualと言い古くは「ふたなり」とも呼ばれた「男とも女とも判断つきかねる」人。精神面では男性寄りだが女性としての一面も併せ持ち、肉体的には中性だがゆっくりと女性化が進行中。さらに全体的なホルモン不足により深刻な障害も抱えていて、多感な思春期だというのに「自分の性別を決定して治療」しなければならないという非常に厄介な問題も抱えている。
 もちろん対人関係も簡単ではない。明治以降のわが国では彼らを示す日常語すら存在せず認知度も限りなくゼロに近い。彼らは明治以降の富国強兵策の中、多くが生殖能力を欠いているために置きさられてしまっているのだ。ほとんどの人は存在すら知らず、そして辛うじて知っても偏見に満ちた目線しか持たない。
 彼を受け入れないどころか無知と偏見に溢れた見方しかしない人々。ただ彼の人柄に、態度に触れ、共感したり賛同した一部の人間のみが味方につくという状況。いや、「一部が味方につく」というだけでも奇跡的だと思うが、それでも彼は泣き苦しみつつも前に進もうとする。

 本作、あまりに面白いのでとうとう全巻注文してしまいました。
 とりあえず「読んだ事ない」というあなた、もしも興味があるなら是非おすすめである。

—–
うちの一次創作はいわゆるTSものを扱うのだけど、大抵はサイボーグなど人工のボディに精神を移植するSFものの話であって、そもそもISですらない。ただ「人工のボディ」に移るという倫理的に微妙なテーマや、社会的男女の分業とかジェンダー等に踏み込む関係上性の問題は切り離せないのだけど、ISは取扱いが難しいうえ実際の人に取材した事もないために今まで二例しか扱っていない。そしてその二例とも、周囲の無理解や偏見によって、決して幸せとは言い難い過去を持っている。
(あー、ちなみに性同一障害の人は取材した事あります。でもISはよく誤解されるけど性同一障害とは全然関係ないので。ピアノとチェンバロ以上に別のものです)
でも個人的には関心の大きな問題で、いつかISをテーマにした作品をまた書きたいと思っています。

これは、ひどい。

http://slashdot.jp/yro/10/10/08/0052200.shtml

クラスメートに部屋にウェブカメラをセットされ、ベッドシーンをライブ配信されたあげく自殺してしまった少年の記事。

クラスメートのそんなシーンを勝手にライブで流す時点で極刑ものだと思うんだが、被害者の子が同性愛者だった事からさらに話がややこしくなっている。米国は保守派のキリスト教の国なので、同性愛者ならプライベートを暴露されようが仕方ない、それを是とする世の中をまず正すべきで彼らは悪くないという、信じられないような意見まで飛び交っている。
(もちろんそれは賛否両論である。極論はどこの世界にもあるものだ)

だが、一部の擁護者に言いたい。同性愛がどうのの是非なんぞ犯罪である事とはなんの関係もない
つまり、米国で言ういわゆるヘイト・クライム(黒人差別とか同性愛差別とかで起こす犯罪。通常犯罪よりも重罪になる)に該当するかどうかは米国の判断に任せられるとして、五年という求刑は妥当だろう。日本における執行猶予の考えが米国にあるのかどうかは知らないが、それは付けるべきではない。この種の犯罪に対してはフルに実刑で臨むべきであり、さらに犯罪歴として永遠に記録されなくてはならない。個人的には、たとえその国における未成年者であっても(日本は二十歳を境界とするが、これは国によって異なる。17歳とか19歳が多いのかな?)死者を出している場合は刑罰自体をどうするかはともかく、こうした「誰かを虐めて悦に入る」種類の犯歴は多くの人に災厄をばらまく社会的悪であり後への影響が大きい。生涯において記録し、彼らが社会復帰したかどうかも含めて監視の目を光らせるべきと考える。
(本来は社会に混ぜるべきではないと思うが、だからといって追放も簡単ではないだろう。21世紀の現在、極めて社会に対して適応不的確な凶悪犯罪者を死罪にするのは難しい。せいぜい、余罪を少しでもたくさんつけて科料を重くし、社会復帰を遅らせる事くらいだが、その間彼らは貴重な税金を食べてのうのうと暮らすのだ。)

しかしそれにしても、犯罪者二人組の片方(犯人は男女二組である)の女性の方の弁護士の言い分が凄いな。

容疑者2名が実際に偏見犯罪で告発されるかどうかはわかっていません。Wei氏の弁護団は彼女の無罪を主張し、Wei氏のことを「輝く未来を持った、すばらしくて、思いやりがあり、才能ある若き女性」だと言っているそうです。

だと。
弁護士も仕事とはいえ、こんなバカまるだしな弁護しかできないって事は、よほどこの女酷い人物なんだろうな。

たこルカ時計を本サイトで公開しました。

(たこルカ画像)
PCLなどのライセンス事項にもきちんと触れたつもりです。
内部的にクトゥルカ画像(たこルカ画像を反転させたもの)を使っていますのでこれについてのコメントも付加しています。
しかし、この手のライセンスの取り扱いはよくわかっていないので、問題があれば公開停止するかもしれません。

Adobe AIRによるたこルカ時計

なお、ブログによる仮公開時代からそうであったように、本時計はいわゆる逆回転時計の一種、床屋時計の形をとっています。setup.xmlをいじると画像を取り替えられる他、ダブルクリックするとトグルで普通の時計にもできる等、いくつかの機能をもっていますが、それ以外の機能はほとんどありません。単に「たこルカで時計を作りたい」という願望だけででっちあげたものです。

「カリオストロは面白い。だがルパンではない」当時も今も思う。同意

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060623

当時よく言われた事。
「ルパンはあくまで悪人であって正義の味方ではない。これは『面白い宮崎アニメ」であってルパンではない。敢えてそうだと言ったとしても異色作であって本流ではない」

まったくその通り。
宮崎氏にも勿論言い分があるわけで「ルパンのような主人公は昔はともかく、もう時代にあわない」という発言を20世紀にしている。つまりその事に対する回答がカリ城という事らしい。本人はまさかルパンが続くなんて想像もしてなかったという発言をしているし、今また作るなら車に乗らない、銃なんか持たないルパンがいいかな、などとも言っている。そして実際、名前を隠して描かれた第二期の最後のルパンは銃も撃たず車にも乗らない。

(ちなみにこの時、リアルタイムで見ていた私はこのルパンに非常に不満だったのを覚えている。銃も使わず車にも乗らない事にも不満だったが、言い方が悪いがライターの自慰を見せられているような不愉快さがあった。あとで宮崎駿と知って2重の意味で納得した)

(基本的に宮崎ルパンはよくできていて安定度も高い傑作が多い。だが、そもそもそれは宮崎アニメとしての完成度であって『ルパン三世』としての流れの中では異端作である。大変よくできたオフィシャル公認の二次創作(ただし主人公まわりのキャラクタ大幅変造済)なのだ。
 カリ城をはじめて見た時に首をかしげた事を私はよく覚えている。どうして彼はいつもの車に乗っていないのか。愛用のワルサーP38もろくに使えず、おひとよしでものわかりのいいおっさんに徹しているのか。もちろんクラリスに優しいのは物語上わかるが、ルパンは優しい事はあっても甘い人間ではないはずだ。
 いや、そもそもそれ以前にこのおっさん本当にルパンなのか?次元がルパンと呼んでいるからそうなのだろうと思ったが、はじめて見た時は偽物なんじゃないかとずっと思っていた。
 理由は簡単。彼はあくまで宮崎ルパンであり、旧シリーズを再放送で見て育ったガキの私にとり、「ちっともルパンらしくないなんか怪しい男」だったからだ)

この頃の発言からもわかるように氏はルパンに関わるつもりはもうないだろうし、そして関わらせるべきでもない。まぁそれ以前にシリーズ自体が既に終わってると思うけど。

余談だが、原作無視してその主人公や世界観をぶっ壊してしまうのは現在落ち目真っ逆さまのハリウッドの手法でもある。そして原作者に大変失礼な行為で、ある種の若いファンが作り出す俺様二次創作の世界だが、それを堂々と商業作品でやるのはいかがなものか。
ゲド戦記の時もそうだったではないか。あれは正しくは宮崎氏でなくその息子氏なのだが問題の根は同じ。「これはゲド戦記の登場人物を使った同人映画」と原作者に言われる状況が全てを物語っている。氏が作ればああはならなかったのかもしれないが、別の面で大いに問題になったのは予想に難くない。宮崎駿は自分の裡に固有の世界を持つタイプの作り手なので、他人の固有世界であるゲド戦記などをまともに描けないと思う。あくまで「宮崎駿解釈」になる。それはよくも悪くもおそらく事実で、息子氏も彼なりにそれに則って作ったはずだ。
しかし、優れたオリジナル作品を作る素晴らしい力があるのだから、そういう自分なりの演出はオリジナルでやればいいのに……どうして稚拙な二次創作じみた原作破壊をわざわざやるのか。甚だ不可解と言うしかない。
カリオストロの時代には氏自体は未だ無名だった、というのはわかるが、だったらちゃんと後の発言やTVシリーズで修正する事だってできたはずだが実際にやったのは真逆の事だ。自分でも後でやりすぎたと発言した旨の記事も読んだ事があるが、それでも結局、あのルパンとは到底思えないお人好しのおじさんが宮崎駿氏の脳内ルパンなのだろう。
私が言うまでもなく、それはとんでもない原作破壊である。そうしたから売れたのだという意見があるかもしれないが、原作者のモンキーパンチ氏に「売れたからいいだろ」なんて不遜な事を言えるのかと私は言いたい。
こんな酷い原作無視を本当にモンキーパンチ氏は承認していたのだろうか?
たとえ契約上そんな権限がモンキーパンチ氏になかったとしても、ここまで露骨な原作ぶちこわしは原作者に頭をさげるべき事ではないのか?
自分の作品なのに「ルパンはそんな事しない!」とまで苦情を言われたという氏が当時認めていたとはちょっと思えないのだが、そのあたりはどうなんだろう?

確かに宮崎氏は巨匠ではない。世間でそう言われているが、ご本人自身は単に好きな作品を作り続けたいだけの人だったのだと思う。むしろ、もし好きな作品を自由に作り続けられるならば、変な色がついて色々言われてしまう名声なんていらないタイプの人なのではないか。才能とか名声とかはむしろ二次的なものだ。ご本人の言葉を見てもアニメに対する愛が伺える。この人は純粋にアニメーション作品に魅せられてやってきたのだ。そして(私個人の琴線にはひっかからないものが大多数だが客観的には)素晴らしい傑作を今も作り続けている。
反面、ルパン三世は元々劇画のアニメ化だ。そもそも氏と折り合えるわけのない作風だったわけで、1番最初のここからそもそも間違っているのだが、なまじ氏に才覚があったものだから氏のやりかたで再構成してしまった。
 宮崎氏はこのルパンの例でわかるように作品に対する意識がとても強い。それは素晴らしい事なのだけど、なんで他人様の作品を、他人様のキャラをオレオレ仕様に勝手に書き換えて憚らないのか。創作者のはしくれとして、私には彼の神経がどうにも理解できない。

はっきり言わせてもらおう。
宮崎駿という人物が日本アニメに与えた影響は大きい。確かに大きい。
だが個人的には、大変失礼ながら宮崎駿なぞ存在せずともよかったのだと思う。
もちろんそれは大きな変化を伴うだろう。
ナウシカなど一連の傑作が一切存在せず、ハイジなどが少し別の形になったかもしれないのは寂しい事だ。日本アニメの進化の流れ自体がある時代から大きく変わってしまうのも事実だろう。

だが、原作を元に描かれている作品で原作無視する連中なんて花開かずに消えてくれたほうがよかった。
売れればいいじゃん、なんて名の元にどれだけの原作者に今まで嫌な思いをさせてきたのか。どれだけの作家が自分の作品ぶっ壊されて泣いてきたのか。
宮崎氏本人はもちろんそんな事考えてもいなかったかもしれないが、原作ありきの作品なのに原作無視して突っ走る、なんて前例をひとつ作ってしまったのはまぎれもない彼なのだ。

なんともやりきれない。

 ——

今でも覚えている。
最初に見たルパンが何だったのかは覚えてない。だが最も強烈に印象づけられたのは間違いなく旧シリーズの第一話だ。あのカーレースの奴である。もちろん再放送。たぶん二期始まりの前にその流れで再放送したものだと思う。

当時まだ小さかった私にとり、初期の旧ルパンは決してやさしい内容ではなかった。だが「なんかよくわからないが異様にかっこいい奴」と一発で気に入ってしまった。中には子供心に何とか理解できる話もあったし、何よりも胸をすくような話も多かった。命を狙われたルパンが窮地を脱するあたりなんぞ、子供が見ても充分面白かったし、不二子に足をすくわれ、きっちりやり返すルパンも好きだった。すげえぞこいつ、と。
そう。ある意味ルパンは私にとり、人生ではじめて出会ったピカレスクヒーローだったのだろう。オープニングもエンディングもガキむけのそれとは全然違っていた。とにかくめちゃめちゃに格好よかったんだ。母親は盛大に眉をしかめたものだが、私は喜んで見ていた。

だから、私は余計に宮崎ルパンが許せなかったのだろう。第一期の終盤に関わっていたのは後で知ったが、第一期の終盤のルパンというと、私はいつも終盤のルパンは面白くないので見てないのだ。あの頃の私もそうだし今も面白いとは全く思えない。
でもまぁ、確かに宮崎氏本来の作風や才能を思えば向いてないわな。こういう主人公や作品を氏は根本的に嫌うだろう。
今ならそんな、向かない仕事をわざわざしなくてもいい。氏のためにもルパンのためにもいい事だと思う。