夢幻の中の戦い

なんのこっちゃと言われそうだが、要するに昔懐かしいOVA『幻夢戦記レダ』の話である。

(以下、ネタバレ超改行します)
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あの話、主人公と敵ボスとの戦いが色々と秀逸なんである。

彼女、朝霧陽子は物語の中で戦士の姿になるが、実のところそっちは視聴者サービスとハッタリ以外の何者でもない。実際の戦いはタイトルのとおり、幻の夢の中で行われるのだ。

そもそも彼女は普通の人間であり、相手は海千山千の化け物のような人間。まともにぶつかって勝てるわけがない。
だがこれには理由があると考える。

つまり『レダの戦士』に重要条件はただ二つだけなのだろう。
まずノアの人間である事。これはまぁ当然で、帰りたいという気持ちを次元越えのキーワードにしてしまえば、アシャンティ側の人間はどう足掻いても次元の壁を越えられない事になる。
次に『レダのハート』に並々ならぬ思い入れがある事。これは考えてみれば当たり前なんだが、そもそも波動なんてカタチのないものにどうやってそんな思い入れをもつ事ができるのか。ここが問題なわけだが、朝霧陽子はたまたまピアノが弾けたため、受け取ったレダのハートを曲に仕上げてしまった。しかもそれは彼女自身の片思いの切なさとリンクしたため、多感な思春期の少女の心の中で、これ以上なく燃え上がってしまった。

つまりそういうわけだ。敵の意図はどう足掻いても実現不可能だったのだ。

かりに陽子を排除してしまえば、彼らは自力で次元を越える事ができない。

だが陽子を洗脳するか幻惑を見せて次元越えを試みた場合も無理。
なるほど、確かに陽子はゼルの言ったように「レダそのものではない生身の人間」だろう。
だが、多感な思春期の少女にとって「恋心」というのは、人生そのものを左右しかねないほどに重要なもの。その『恋心』がレダのハートそのものと同一化してしまっているという状態は決して小さくない。彼女の望郷の念を刺激すればするほど、それは恋心すなわちレダのハートに向かってしまう。そしてレダと直接つながったら最後、人間の行った洗脳だの幻惑なんぞ吹っ飛ばされてしまう。

いやいやまったく、なんて見事なトラップだろう。
ゼルたちは実際のところ見事に騙されたとも言える。
レダの戦士に必要なのは「どこまでもレダのハートに直結で、しかもノアへの望郷の念が強い事」であって、戦士としての強さにはほとんど意味がない。だがゼルはレダの戦士が生身の人間である事にすっかりごまかされた。

う〜ん。今こうして見ても「うまい仕掛けだなぁ」と思う。

ニコニコムービーメーカーを使ってみる。

Wine上で実行。ちゃんと動くみたい。
(Ubuntu10.10 amd64 + Wine)
かなり便利だけど、まさに「ニコニコ動画のためのツール」なんですねえ。
まともにムービー保存すらできない。徹底してる。

ふむふむ

最近はまっているものがよくわかるデスクトップ

がくリン(ぽリンとも言うらしい)尽くしのデスクトップ XD / Ubuntu10.10 amd64

がくりん(がくっぽいど x 鏡音リン)ってルカメイとは対極の意味で好きな組み合わせです。ロリコンとか光源氏とかひでぇ言われようだけど、なんか幸せそうでほのぼのしてて、いいんですよね。歳の離れた異母兄妹か従兄妹って感じかな。

作られる楽曲もこの組み合わせは優しいものが多い。やっぱ、ほのぼのして見えるからだろうな。

Windows7(64bit)でも走らせてみた。

なぜか唐突にWindows7をゲットしたので、走らせてみた。
(ちなみに64です。32は無理に必要ない&安い64が目についたのでゲット)

そしてやっぱりYin-Yangオルタ。いや、そりゃあうちのサイトですから XD

おお。ちゃんとx64でも動いたか。うむうむ

久しぶりにcrowdのサイトみたら、相変わらずTSF全開だった。こんなニッチな世界でたくましく生きてんなぁ。新作欲しくなっちまったじゃねえか ^^;;;;

エミュレーションって凄いなぁ。

Yin-Yang! -Xchange Alternative on WineHQ on Ubuntu10.10 amd64

久しぶりにYin-Yang X-change Alternativeを動かす。かつてTSF(性別反転もの)の有名ブランドだったcrowd(クラウド)の怪作エロゲだ。
世間ひろしといえども、この超マニアックなゲームを発売日にWine上で全クリアしたのはたぶん私だけだろう ^^;
しかも、こんな日数たってから、amd64版Ubuntuの上で走らせるなんて ^^;

本作は本当にうちのサイト的にど真ん中ストライクだった。
作品の性質ゆえに萌えもほとんどないし、こういうニッチすぎるのは今は難しいのかもしれないが、また楽しみたいものだ。

Windows7で「ようこそ画面」を無効にする方法?

「Windows7にはクラシックログオン画面はない」というのは知っていたので、ラストログインを見せないようにすればいいんだろ?と探したらすぐに出てきた。

ははあ。おなじみのregeditで、以下のキーをいじればいいらしい。
KEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Policies\System」のDWORD値「dontdisplaylastusername

おもいっきり見た通りの意味(don’t display lastusername)の設定だな。これに1を与えてログアウトしてみればいい。今まで通りのログオン画面だがユーザ名が空欄になって画像も出なくなっているだろう。

ん?「プログラムを指定して実行がでない」だって?私も知らねえ、すまん。まぁプロンプトからでも起動してやってくれ XD

ネット友人をなくすという経験

実はわりと初体験。ネットで友人をなくす経験をした。

些細な意見の食い違いから某ネットで友人と仲違いした。いや、正しくは一方的に嫌われたのだが。それは「オープンソースに対する認識」なんて話であり個人的には単に価値観の衝突にすぎない話だったのだけど、それ以降相手が会話してこなくなった。同席しても存在自体を無視し挨拶もしなくなったのだ。いわゆる「ハブる」状態である。

個人的には珍しいタイプの友人だったが、まさかちょっと価値観が違うからって一方的にハブるというあまりのガキ全開な対応にはこっちが驚いた。というか最初まさかそんなくだらない理由でハブられていると気づかず、別の友人の指摘で「ああ」と気づき驚かされた。長い人生、価値観が異なる知人なんてのにはいくらでも遭遇するであろうに。

で、本日ついに「友人登録」も削除されているのに遅蒔きながら気づいた。
実のところ友人登録自体は消えてなかっただけに「くるものがきたか」という気持ちもないではなかったが、それでも好ましい気持ちではなかった。
だがこれはひとつの機会でもあった。

普通、友人登録なんてつきあいがなくなっても放置しておくものだ。積極的に消すという事は「今後あなたと関わる意志は一切ない」って積極的な意思表示って事になるわけで、最終手段であろうからだ。
私自身はその人を嫌いではない。これは過去形ではなく今現時点だってそうである。意見の相違くらいで敵対してたら友達なんかいなくなる。というかすべての友達は「他人」なので意見が違うのはむしろ当たり前だろう。それで嫌うという事自体が想定の範疇外だ。異星人か?

とはいえ私の場合、よほどの相手じゃないと嫌いだなんて思わない。というか「嫌いになった事自体がない」が近いか。
苦手なタイプの人というのはいる。だけど、だからって嫌いなわけではない。たとえ価値観として敵対する相手だとしても、それでも嫌いではない。
だけど、伸ばした手をすぱーんとはねのけられたら、その手を自分からつなぎなおしにいく事は滅多にないし想像もできない。もちろんそれは不快な行為だからでもあるが、そもそも、こっちの手をはたき落とした、という相手の意志を尊重しようとも思うからだ。

マァ、そこまで嫌いと突っぱねられたのでは、本人の意志を尊重したほうがいいだろう。ハブられたといっても年単位の過去であり、ずっと続いていたうえの事だから、さすがに衝動的なものでもないんだから。

意志に答え、こちらも、たぶん生まれてはじめて「その人のすべての情報を削除する」という事を行った。

後の気分は、なんだかとても悲しいものだった。

半陰陽と性同一障害の違いについて

微妙にうちのサイトのネタではないのだけど、TSFとか頻繁に扱ってる関係上、少し触れておく。
といっても大した話じゃない。識者の方にとっては苦笑するような話だと思います。念のため。

しばしば混同される両者だが、決定的に違う点がある。というかこれを混同するのは、例えれば木の葉とコノハチョウ、あるいはピアノとチェンバロを間違えるようなもので個人的にはちょっと「ありえない」混同だと思うのだけど。
(木の葉は植物であり、コノハチョウは木の葉そっくりの羽根をもつ蝶(動物)である。ピアノは弦を叩いて鳴らすがチェンバロはギターのように掻き鳴らす楽器。どちらの例も一見似ているが、ちゃんと目を耳を使って見れば全然異質のものだと素人にも一目瞭然である)

半陰陽とは、そもそも肉体が男とも女ともつかない存在である。遺伝子が男(女)なのに実際の体は逆だったり、そもそも遺伝子レベルからどっちとも判定できなかったり、あるいは(不完全ながら)両性だったり。肉体からこれだから、その上に乗っている精神もしばしばどちらともつかない。「この世は男と女しかいない」という誰かの言葉に対する生きた反証である。

対する性同一障害とは、肉体の性と心の性が一致しないことをさす。肉体的には普通に男であり女だろうから、半陰陽者の抱える問題とはまったく異質であろう。

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うちはどちらのネタもほとんど扱わない。
だが「事故その他の理由により、人工の肉体に移植される」などのトリガーにより否応がなしに肉体と精神の食い違う状態にされる主人公はうちでは定番である。これはもちろん私自身がこのネタ大好きだからである^^;
これはある意味人造の性同一障害と言えると思うし私もしばしばそういう扱いで話を書くが、そもそもTSFつまりファンタスティックな作り話の小道具としての扱いだし、「精神のみを別のボディに移植」なんて少なくとも現代技術では不可能なので結果は推測するしかない。だから現実の同一性障害の方から見れば違和感のありすぎる内容になっているはずである。

男女では脳の構造も基本的精神構造も違うとされる。だからこそ『脳移植』や首のすげ替えなどである限りその基本部分はどうにもならない、というのは男女をきっぱり分類したがる人々の常々からの主張だと思う。
だがうちのサイトは伝統的に、細胞一個たりとも持ち越さない肉体変更をファンタジーやSFの形で描いている。これは「これらがもし可能なら、男と女の境界線はどう変化するのか」という私なりの壮大なイフ、あるいは題材の提起である。
これは私がジェンダー反対論者である事と矛盾しない。なぜならこの前提には「脳や組織の性別を持ち越す限り、持って生まれた性属性は容易には覆らない」という定義があるからだ。

(たとえば、手前味噌ですまないが私の創作『α』の主人公は、中学時代の私自身をモデルに作り上げたキャラクタである。だが持って生まれた性属性を喪失していくその姿はもちろん私自身とは既に別人である。なぜなら「精神以外の全てを喪失し、別に用意された肉体に精神のみを移植されて蘇生させられる」という前提条件の上に彼女(彼)は存在しているのであって、既にその時点で私とは異質の存在となり果てているからである)

男は男、女は女、そして半陰陽者などの性マイノリティ。それぞれが占めるポジションがおそらくあり、それは簡単には変わらないし、おそらく変えられない。だが「肉体という衣装」を簡単に全交換する事ができるなら、ひとはおそらく(人格形成にも性は関連しているので大変危険を伴うだろうが)新しい環境に馴染み変わっていくように、あるいは衣装に慣れていくように新しい肉体の発現する「性」を受け入れるのではないかと想像している。もちろん順応には相応の時間などを必要とするだろうが。
また、その前提に基づいて私のこの種の創作は全て作られている。

dvipdfmxが動かないのに対応する。

再セットアップ以来放置だったdvipdfmxを手直し。

Debian squeezeでは、dvipdfmxは仮想パッケージでtexliveあたりに分散して組み込まれている……が、どうやらファイルに抜けがあるようだ。もらってきた。

$ wget http://w32tex.org/current/dvipdfm-w32.tar.bz2
$ tar -jxvf dvipdfm-w32.tar.bz2
$ sudo cp -v share/texmf/fonts/map/agl/*.txt /etc/texmf/dvipdfmx/
`share/texmf/fonts/map/agl/glyphlist.txt’ -> `/etc/texmf/dvipdfmx/glyphlist.txt
`share/texmf/fonts/map/agl/pdfglyphlist.txt’ -> `/etc/texmf/dvipdfmx/pdfglyphlist.txt

んで、いつものようにcmapな日本語関係を入れると。

$ sudo aptitude install cmap-adobe-japan1 cmap-adobe-japan2

これで動いた。おし。