小説『スーパーカブ』第三巻の感想

もちろんネタバレです。

いろいろアレな部分もある巻だけど。
けど、そうだよなと見ていて思った部分はこれ。

今カブを自分の生活から切り捨てれば、きっと春から何不自由ない暮らしが出来る。でも、もしそうすれば、これから先も自分は自らの大切な物に対して同じ事をする。カブの維持くらいで膝をつくような人間には、きっとこれから先の人生で、心から欲した物を手に入れらない。多くを望まず自分の手に届く物だけで満足する。

ああ、まったく本当によくわかる。

今の職を探す時、バイクを手放すことを考えたけど友人に止められたんですよね。
経済的理由で簡単に手放してしまったら、もう二度と乗れなくなるよと。
どんなに苦しくてもバイクは残しとけと。

確かにそうだった。

作中では経済的理由の圧倒的改善と引き換えに、カブを手放せという世間的な圧力が来る。
大型二輪ならともかく、たかが通学利用のカブ一台をお金の理由で手放せというわけがなくて、単に完全管理下に置かれるからだという。
確かに、日本の奨学金みたいに返済を求められないというのは魅力だ。
しかし、その経済的援助を受けるためには徹底的に生活のすべてを完全管理下におかれ、清らかで貞淑な小公女にならないといけないらしい。
スマホも使えず、他県への移動すら事前に許可が必要で、外にバイク置き場なんか確保していたら退去させられると。

とりあえず主人公がためらい、迷った末に拒否の回答を得たのは無理もないと思う。

人間つーのは当人だけでなく、それを支える人脈やバックボーンも込みで成立しているものだ。
で、主人公はその人脈のすべてが、親にすら捨てられ、何もかもなくした果てに乗り始めたカブを中心にできているわけで。
なのに、彼らと会うどころか連絡もとる事すらも事実上禁止される。
移動手段もとりあげられ、軟禁状態で四年間過ごすことを強要される。
将来に向けて人格と人脈を育てるべき大事な時代に、そんな完全管理下の生活させられるって……それは無理でしょう。

そもそもなぁ。
主人公本人は、何か思い込みのある担当が仕切ってるんだろうと淡白な推測をしてたけど。
正直、今どき女子教育でそこまでやるのって、洗脳系、宗教関係、あるいは、素行の悪い娘を完全管理下において無理やり花嫁修業させるとこのように思えるぞ。
少なくとも、外部に交流のある家族が誰もおらず、バイク通学をきっかけにできた人脈が外にあるだけって人間を入れるところじゃないわ。

あくまで邪推だけど。
主人公の選択は、そういう意味でも正しいのではないかと思う。

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