ヤマハはホンダである、という迷言

なんのこっちゃと言われそうなので、ちょっと説明しよう。

まず、ヤマハはバイクメーカー(ヤマハ発動機)と楽器メーカーとしての側面を持っていることを思い出してほしい。で、対するホンダは本田技研工業というくらいで、色々作っちゃーいるけど楽器は作ってない。たぶん。

で、この「ヤマハはホンダである」という迷言をもう少し追記すると、ヤマハは「発動機」のつかないヤマハであり、つまり楽器メーカーとしてのヤマハのこと。要するに「楽器メーカーとしてのヤマハは、ホンダのように優等生(という名の最大公約数モデル、あるいは器用貧乏)ばかり作っている」と言いたいのだ。

これは楽器とバイクの両方やる人には、おそらく有名なことだろう。

ちなみにバイクメーカーとしてのヤマハは、とにかくAppleのようにユーザ体験を優先する傾向がある。たとえばアメリカン・クルーザーの「ドラッグスター」シリーズだと、たとえ400ccのモデルでも、ゆったり流せば低音を豊かに響かせてくれるよう演出されている。(もちろんビッグバイクの荒々しさはないが、そのかわり日本製らしい、粒を揃えつつも低く流すような、明らかに狙った面白い音を出している。とてもいい演出だと思う)

この点、ホンダも似たような事をやるけど、それでも「走らないバイクなんてバイクじゃない」と言わんばかりにしっかりと性能も確保するのがホンダだ。実際、ヤマハのSRシリーズに対抗して発売されたGBシリーズは、当時のエンデューロレーサーXR系のエンジンを専用に設定して積み込んだ、やたらとよく走るマシンだった。対するSRが、とにかく「ユーザーが満足していればそれでよい」と、細かい改善と環境対策はしっかりやるのに、高性能エンジンへの積み替えは全くやらなかったのと対照的に。

この傾向はスポーツバイクには良いのだけど、雰囲気やスタイル優先のシリーズでやると当然、ロングセラーにはならないのは言うまでもない。事実、ヤマハビラーゴやドラッグスターに対するシャドウシリーズも、短期的にはよく売れても、ライバルほどのロングセラーになったものは結局なかったのだから。

皮肉な話だが、逆の意味でこれを裏付ける事実もある。
たとえば近年に新型になったホンダ・レブルだ。

レブルは日本ではむしろ懐かしい名前で、20年も前に発売終了となった古いシリーズである。しかも当時ですらエンジンは古いホークシリーズの出涸らしみたいな代物で、構造的にも見るべきところは全くなかった。

だが、そんなレブルは当時の日本でも並み居るスポーツバイクを差し置いてよく売れたし、海外に至っては学生バイクと呼ばれて特にライトユーザーに愛用され、30年も売れ続けたのである。(つーか僕もレブル乗りです。久々に新型買いました)

ホンダにしてみれば皮肉なモデルであろう。良かれと最新技術をこれでもかと詰め込んだスーパーモデルが消えていく中、どうでもいいような旧態依然としたモデルが愛され続けたのだから。

だが絶対性能こそ第一というのはスポーツユーザーの話であり、パンピーはそんなもん求めてないのも事実には違いない。少なくとも僕はそうで、革ツナギやモトクロス装備を求められるバイクはちょっと、という気持ちがある。

レブルは長く、広く愛された。

若者は通学などのアシに重宝し、さらにその若者は結婚してから奥さんや息子に仕立て直したレブルをプレゼントしたりした。教習車にしていたところもあれば、ミニパト代わりにしていた国もあるらしい。本当に長いこと愛され続けた。

さすがに時代に変化には勝てず、ついに新型を作ると聞いた時には、やっとかーと思ったものだが、実はこれも最新の規制対応や、ベースの古いエンジンの製造中止が決まったためだと思われる。バイクはエンジンを吊り下げたり抱え込むようにして車体フレームを設計するので、ひとつの系列のエンジンが製造終了するというのなら、どうしてもフレームから再設計しなくちゃならないからだ。

つまり、販売終了するには惜しいほど売れているから、だったら新型作るかーとなったのだと思われる。(そして昔のレブルの時同様「おや、ちょうどよさげな250/300ccと500の売れてるエンジンがあるじゃないか、こいつで作るか」と)

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